胡桃林の寝子日和。

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何が出来るわけでもないけれど。
2011年 01月 20日 |
先ほど、母と電話で話をしました。

先週末に胃ろうの手術を受けた父は、相変わらずの態度だそうで。
お医者さまから胃ろうの手術の詳細が書かれた書類を渡され、説明を受けたのは母と姉。
それでも、たとえ当人(父)が『俺はそんなものは聞きたくない』と拒絶しても、現状では延命のためには手術を受けないわけにはいかないと、父にはその書類を渡して目を通しておくように言って、結局承諾したのは母と姉です。
なのに、術後、父が『いくつ穴を開けたんだ』なんて看護士さんに尋ねることは、全て書類に書いてあったようなことばかり。

でも、例えば自分が父の立場になったのなら、と考えると、父を責めることは出来ません。
先のない未来のことなんて、知りたくないです。
受ける手術のことだって、それで完治するならば頑張りますけれど、その場しのぎなら、つらさが長引くだけなんじゃないかと。
今は、それなりに我慢出来るつらさだったとしても、これから先にどれほど屈辱的なことがあるんだろうと考えるだけで、滅入ってしまいます。

それでも、少しでも長く、父に生きてほしいと思うのは、罪なことなのでしょうか。
一分一秒でも、長く生きをしてほしいと思うのは、いけないことなのでしょうか…?


この年齢になると、祖父や祖母だけでなく、小父や小母を含め、脳溢血等でなくなった、なんてこともよく聞くようになります。
身内を亡くすことは、つらいです。
でも、それでも、せめて当人だけでもつらい思いをせずに逝けたのならば、それは却って幸せなんじゃないかなって、最近は思います。
だって、平均寿命までには早すぎる死までの期限を切られ、治療で治る見込みさえなく、日々カウントダウンをしながら足掻いているなんて、つらすぎます。
今日はこれが出来た、でも明日はどうだろう、なんて不安を抱え、どれほど自分が頑張ろうとも周囲の助けを必要とし泣けれないけない日々。
数秒先さえ不安な時間を過ごすよりは、自身でさえ分からないうちにぽっくり逝けたのなら、どれだけ自分にとっても周りの人たちのとっても楽だろうかと、思ってしまうんです。
でも、それはイコール、みんなに急逝してほしいというワケじゃなくて。

ああ、なんていうのかな、自分も含めて、全ての方にとって、幸せな一生だったらいいなと思うのです。
それがたとえ、長くても、短くても。

例えば今、私が父のように命の期限を切られたら。
めちゃめちゃ焦ります、足掻きます、パニクります。
やりたいことも、行きたいところも、いっぱいですもん。
心残り、ありまくりです。
でも、きっと父も、同じだと思うのです。
時代的なこともあったと思うけれど、なかなか自分の思い通りには出来なかっただろうし、結婚して子どもが出来てからはさらに自由がなかったんじゃないかなとか。
それが、子どもたちがようやく自立して、やっと夫婦の時間が持てると思った矢先の、病気の発覚なので、やり切れなさとか、言葉にできない気持ちがたくさんあると思います
それが当時の父親のあるべき姿なのかもしれませんが、友人たちが人の親になる年齢になった今、それが本当に父にとって幸せだったのかなって、ちょっと思ってしまいます。

願わくば、私や姉、そして私のだんなや姉の配偶者や甥っ子が、父にとっての幸せになっていますように。
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by yuling | 2011-01-20 15:30 | ALS | Trackback | Comments(0) |
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