胡桃林の寝子日和。

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カテゴリ:ALS( 38 )
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2011年 03月 07日 |
おそらく私はこのまま、書道に続く道を諦めるんだろうなと思っています。

この3月末で、カナダ在籍のクラブで日本に滞在されながらも通信添削という形でご指導くださっていた先生が退職を希望され、長年続いていたバンクーバー書道クラブが(とりあえずは)閉鎖ということになりました。
幼少の頃から習っていた実家に近いところのお教室は、カナダに住むことになってからは、帰国時に挨拶程度にちょっと顔を出すくらいでそこで筆をもって教えを請うということはなく、今回の父のことで頻繁にカナダと日本を行き来するようになるのであればいちいちお土産を持って遊びに(?)行くということも控えようかと思っていますし。
カナダの自宅でお教室を開けたらいいなという夢もありましたが、しょっちゅう、しかも何週間という単位で家を空けることになるので、叶えられそうにないですし。
ずっと途切れずに続けている姉には、『(サイトにアップしていた作品を)ちょっと見たけど、書き慣れない人の文字だなあって思った』と言われ、まあ事実、月一の課題に(日本で師事していた先生が得意とされていらした)隷書や篆書はないし、月4-5回練習している人と月一(しかも添削されて戻ってくるのは一月後)でしか先生に見てもらえない人とでは、書き慣れる慣れない以前に経験値にまず雲泥の差があるわけで、ならば躍起になって続ける意味もないんじゃないかなと。
昨年初夏ごろからカナダの日本語学校で講師をすることになって、大変ながらもそれなりに楽しんでいましたし、『日本の文化を教える』ということで書道の時間を取ってもらうこともありましたが、父の介護に時間が必要ということで学校そのものを辞めてしまいましたし。

趣味程度に続ければいいんじゃないかと母は言いますが、それもなんだか中途半端な気がします。
帰国のたびに遊んでいただいていたお友だちとも、今でさえ数週間の滞在の間に一人と会えるかどうかですから、今後はもっとどんどん会えなくなるでしょうし。
父の介護のために自分の人生を犠牲にするつもりはないと思っていましたけれど、ある程度捨てなくちゃいけないものはあるんだなーと、実感しました。

極論かもしれませんが。
長いか短いか分かりませんが、介護生活が終わったとき、私に残っているものって、何なんだろうって考えます。
幼少から続けていた趣味を生涯の職業にしようと思った矢先に中止を余儀なくされ、カナダに行って10年以上経って見つけた『続けたい』と思うお仕事も辞めざるを得ず、最悪の場合、だんなをも犠牲にしなくてはいけない可能性もないとは言えず。
…何か、残るものは、あるのかな。
いっそ、だんなをはじめとしてお友だちなど人間関係や、趣味などのやりたいことなどを含め、私というすべてを捨てて父のためだけに人生を捧げたほうが、いいのかな。
気軽に駆けつけられる距離ではないところに居を構えている分、覚悟の大きさも比例しているように思えてなりません。
表面はポジティブを装っていても、内心はそうなりきれなくて、グラグラしています。

はぁ~、思いっきりお酒飲みたい…。
いやそれは現実逃避だから、やっちゃいけないことだよね。
とはいえ、どこまで『自分』を出していいのか、迷います。
誰か、反論すら出来ないほどの強さで、未来を決めてくれないかな…。
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2011年 03月 06日 |
床敷きの布団から上半身を起こすのに、頭や背中を支えてあげなくてはいけないこと。
一生懸命に話してくれようとする言葉の、聞き取れないことが増えてゆくこと。
飲み込めない唾や痰がからんで、隣にある吸引機にすら手を伸ばせないほど苦しくなること。
そして、そんな父に、母がきつい言葉を使ったり苛立ちをあらわにした態度を取ること。

全部、つらいです。

父の布団が今でも床敷きなのは、理由があります。
ベッドのほうが座ったり立ったりは楽でしょうし、電動でマットレスの角度を変えられるものならばなおさら。
でも、もともとあまり体を動かすことをしない父で(学生時代は球児だったので私が小学生になる頃まではキャッチボールの相手をしてくれましたし、病気になる前まではゴルフも大好きでしたけれど)、私の記憶にある限り、仕事から帰ってきた平日の夜や週末は、ずっとTVを見ていました。
だからこそ、今ベッドを導入してしまうと、まだ動ける状態なのに寝たきりになってしまいそうなので、なるべく『布団を片付けるから起きてね』と言える和布団を使用しているのです。
球麻痺から始まり、上半身はすっかり弱ってしまった父ですが、まだ下半身は驚くほどに元気なので(マッサージの先生にも『動きが軽やかですね』といってもらえるくらい)、何とか動けるうちは多少の無理をしてでも自力でがんばってほしいのです。

言葉は、症状が球麻痺(延髄の障害により起こる麻痺で主に下位脳神経麻痺(嚥下障害や構音障害など)を指す)から始まったため、かなり早い時期から困難となっていました。
昨年6月下旬に告知をされ、それから数ヶ月でほとんど呂律が回らない状態となり、8ヶ月経った今では、父が口癖のように言う言葉は分かるものの、ちょっとした説明(体調や便の具合、胃ろうチューブの状態など)や見ているTVについての意見などは、筆記してもらわないと通じないことのほうが多くなっています。
私が子供の頃は、無口で、女子供には関心がないというようなタイプだったようで、たまに父が声を上げて笑っていると、こっそりと布団の中で姉とびっくりしたねーなんて言い合っていたくらいです。
それでも、姉と私がそれぞれ結婚をして家を出てからは、たまの帰省時には以前からは想像がつかないくらい甘えさせてくれるようになり、父娘というよりもむしろお友達感覚な関係を築けていたように思います。
だからこそ、以前は怖いだけの父だったのが最近は一緒に笑ったり出かけたりすることが出来るようになり、うれしかったんですよね。
父も、母には面と向かっていえないことを、私や姉に漏らしたりしていたようですし、子育てにはほとんど無縁だった父がようやく私たち姉妹と近づけたように感じていた矢先のことだったので、本当に本当に、切ないです。

さらに、球麻痺の代表的な症状として嚥下障害が上げられるほど、『飲み込む』ことができなくなります。
口周りの筋肉が衰えてしまうので、下、上下の顎、さらに咽喉にわたる筋肉が意識的または無意識的に動かせなくなり、話すことはもちろん、飲み込むことさえも出来なくなってしまうのです。
だから、普段何気なく飲み込んでいる唾なども口内に溜まるので、終始唾を吐くかティッシュ等でぬぐうか、または吸引機を使用するかして、取り除かなくてはいけません。
現状は、横になっている(寝ている)時は比較的楽なようですが、それでも時折、誤嚥するのか、呼吸さえ出来なくなるほど苦しくなってしまうようで、そうなるとそばにある吸引機にさえ手が届かず、母や私が気づかなければ窒息してしまう事態にもなりかねず。
日中は、(今は)母か私のどちらかが常に父の気配を感じるところに待機しているので大事には至っていませんが、私がカナダに戻ったらどうなるんでしょうね?
訪問看護士さんやケアマネさんは、私がいなくなる(予定の)4月のはじめ頃までには、何とかもっと訪問時間や回数を増やそうとがんばってくださっていますし、それはとてもとてもありがたいことですけれど、もともと余り他人との接触を好んでしなかった両親なので、それが却って負担になってしまわないかと心配でもあります。

何よりここ最近の心配は、母の、父への態度で。
もともと『空気を読まない』父と『イラチなほどに時間を惜しむ』母なので、お互いに機嫌のいいときには問題はないのですが、何かの切欠で不協和音になると、なかなかに難しいなあなんて思っていました。
父は、鷹揚ですが他の人の都合を慮ることをしないタイプで、母は逆に、余分なことまで心配しすぎて心に余裕がなくなってイライラしてしまうタイプです。
なので、たとえば些細なことでも、父はきっちりと伝えようとして回りくどくなってしまうことが、母には『要点だけでいい』となってしまい、そのあたりの齟齬でしょっちゅう言い争いをしています。
私としては、簡潔に言えない父も、精神的なゆとりをもてない母も、どちらにも等分に非はあると思っているんですけどね。
どちらの言い分も理解できる私がいる今はいいのかもしれませんけれど、私だってずっと一緒にいられるわけでもなく、ある程度の時期がきたらカナダに戻るわけですから。
きっと娘の私が憂うほど、心配はないと思うんですけれどね…。

ともあれ。
現時点では、私は『だんなの理解を得られる限り』出来るだけのことはしようと思っています。
父も母も大好きですし大切ですから、どんなことでもしたいとは思いますけれど。
でも、同時に、だんなも私の家族であり、大事にしたい人ですので。
どちらに比重が傾くか、なんてことは計れませんが、どちらかだけを選べなんていう最悪の事態だけは避けられるよう、出来る限りのことはしたいと思います。
AかBか、じゃない。
AもBも、がいいな。

つらいことは、減らないでしょう。
むしろ、これからはどんどん増えていくと思います。
それでも、私だけがつらいんじゃない、もっともっと苦しんだ方々、苦しんでいらっしゃる方々はいるんだと自身に言い聞かせていこうと思います。
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2011年 03月 02日 |
本日午前中、訪問看護士さんがいらっしゃいました。

万が一の事態を考え、残酷だろうけれど最終的な決断を急いでくださいと、言われていました。
ALSは、どんな症状から始まっても、最終的には指一本さえ動かせなくなってしまいます。
最悪は、瞼さえ開くことが出来なくなる方もいらっしゃるそうです。
ただし、その前に必ず通る難関が、呼吸筋の障害で、呼吸器を付けるかどうかという選択を迫られることになってしまいます。

付けても付けなくても、つらい思いをすることは確実です。
しかも、付けなければあと数年、付ければ10年以上も可能ですが、その間に他の病状が出てしまうこともあって、保障はありません。
何より、有効な治療方法がない現在では、延命は可能でも症状の改善や進行を止めることは望めず、遅かれ早かれ寝たきりになってしまうことは否めません。

そうなることまでをきちんと理解した上での決断かどうかはともかく。
初めて父が、呼吸器を付けてでも生きたい、と意思表明をしてくれました。
今までは、何度訊いても『自分が出来ることはない、みんなに迷惑をかける』と繰り返した父。
だから、迷惑をかける『から』なのか『けど』なのか、その先が知りたかったのですけれども。
でも本日、看護師さんに問われたときも同じことを繰り返していましたが、『公共の期間を使って、出来るだけ家族に迷惑をかけない方法もある』とおっしゃってくださったことに勇気付けられたのかもしれません。
初めて、きちんと文字にして、希望をいってくれました。

呼吸器は、付けてしまったらもう、自分の意思でさえ外すことは出来ません。
だから、今はまだそれなりに動作が可能であるからこその思いで、今後『もうこんな風になって生きていくのはつらい』と、拒否する可能性もあるかもしれませんが。
ともあれ、父がそう選択したのなら、短期決戦ではなく、長期戦で臨まなくてはいけません。
ある程度の無理は覚悟の上ですが、私や姉の家庭を壊してまでの協力はしてほしくないという母の思いもあり、微妙な調整やその場に応じた臨機応変な対応が必要となるでしょう。

どれほどのことが出来るのかはわかりませんが。
どれだけがんばれるのかも分かりませんが。
少しでも父と一緒にいられる時間が長いといいなと、思います。
それには何よりも、だんなの理解と協力を必要としますから、甘えてばかりもいけませんけれど、どちらも大切にしつつ…って、都合よすぎですかね?
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2011年 02月 27日 |
クリスマス前に入院した父が、2月始めに退院して以来、週一で看護士さんが訪ねてきてくださいます。
おひとりはMさんという方で、時に厳しいこともズバッとおっしゃいますが、とても頼りになる方です。
もうひとりはSさんという方で、Mさんよりもお若く経験も浅いようですが、『医療的なことはMに任せて、私は心のケアをしたいと思います』といってくださいました。

Mさんは、医術的なことだけではなく、本当に父を心配してくれ、父の通院の日も『その日時ならば私は病院にいるので時間を作って会いに行きますね』と、本当にお忙しい中、父の診療に立会い、その後父や母ともお話しするお時間を作ってくださいました。
おっしゃることはすべて理にかなっており、些細な質問にも丁寧に答えてくださる、とても頼りになる方です。

Sさんは、Mさんよりも年下で経験も浅いようですが、だからこそなのか、事務的なことよりも病気や症状に関係のないおしゃべりをして『心のケア』をしてくださる方のようです。
父がナンプレ(数独)にハマっていると知ると、本心はどうあれ、『他の患者さんでもハマっている人がいるし、私もがんばろうかと思ってるんですよねー』なんて、しゃべれない父がそれでも話そうとするように話題を導いてくださいます。

先週の水曜日にSさんが来てくださり、かなり長い間父とおしゃべりをしてくださいました。
ALSになる前から、父はあまり家に来るお客さんたちと話すことはなく、むしろ感じ悪い態度をとることもしばしばだったのですが、Sさんに対しては、それがなく、自分からいろいろと話そうとしていました。
病気になる前からナンプレが大好きで、ずっと下を向いているからか頚骨を患ったこともある父ですが、Sさんには『好きなことをさせてあげてください。頚骨を痛めたら、そのときはそれなりの処置をしますから』とまでおっしゃっていただきました。
言葉の裏を考えれば、『もう好きなことが出来る時間はあまりない』とも取れますけれど、それでも父が好きなことをしてわずかなりとも幸せだと感じる時間が長ければいいなと、制限することを控えようと母と決めました。

ともあれ、Sさんとは父も波長が合ったのか、その後にはこれまでは見向きもしなかったALSについて書かれた冊子などにも目を通すようになり、逃げるようにしていた現実とわずかでも向き合ってくれるようになったみたいです。
きっと、最終的な選択のどちらを選んでも後悔はするだろうけれど、それでもそれなりに楽しむことは出来ると、わかってくれたんじゃないかなと、思います。
父が前向きになってくれるなら、どんなに大変でも、みんながんばれるのだから。

毎日、私が生まれる前に戦死してしまったおじいちゃん(父の父)に、お願いしています。
どんな選択であれ、少しでも父の過ごす時間が、楽しいものでありますように、わずかでも、辛さや痛みなどが少ない時間を過ごせますように、と。
何よりも、あんまり早く、父をおじいちゃんのところへ呼ばないでね、と…。
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2011年 02月 21日 |
昨年6月下旬に、父がALSであると告知を受けてから、8ヶ月。
症例が少ない難病ということで、比べようがなくてわからないのですが、思っていたよりも父の症状の悪化が早いように思え、やりきれないです。

3ヶ月前の帰国のときには、まだ、言葉もゆっくり話してもらえばほぼ理解できたし、一緒に1時間以上のお散歩に出かけたりもしました。
車の運転も出来ていましたし、無理しつつもまだ口から食べ物を摂取できていました。
でも今、そのほとんどが出来なくなっています。
会話は、『何について』という前提が分かっていれば何とか…という程度で、父が懸命に説明しようとしてくれる詳細は、書いてもらわないと分からないということがほとんどで。
外出は、身体機能(体のあらゆる筋肉)の劣化により、粗相を気にしてか、通院以外は家の中でさえトイレとお風呂以外はほとんど動かないほどになってしまいました。
口周りから始まった症状が、最近は上半身にも及んでいるようで、和室に敷いた布団から体を起こすことさえ母や私の手を必要とするようになり、直視できないほどに痩せ細った体は自身の体重さえも支えられなくなりつつあります。

正直、辛いです。
誰よりも本人が一番辛いんだと分かっていますが、毎日少しずつ、出来ることが減っていっている父の姿は、見ているだけでもしんどいです。
さらに、今後の治療法を決める重要な決断が迫っていて、現実から目を背けたがっている父に酷な選択を強いることになるのが、本当に申し訳なくて。
代われるものなら代わりたいとさえ思うのに、現実にはそれは不可能で。

とにかく、これから先どれだけの時間があるのかは分かりませんが。
父と、そして母や祖母、姉家族、私のだんなにとって、少しでも辛さが軽減されますよう、祈らずにはいられません。
誰かの犠牲の上に成り立つ不安定な幸せではなく、みんなで団結して築いていける未来へのカウントダウンがまだあることを、信じたいです。
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2011年 01月 29日 |
ALSに加え、喉にポリープ、肝臓に動脈瘤、だそうです。
歯を磨くのさえ腕が疲れる、お風呂に入るのも体がふらつく、そんな父に、これ以上、他にどんな試練や苦痛が与えられてしまうのでしょうか。
1日12時間以上を病院で過ごす母も、疲れはピークになっているようだし。
なんで私はまだ、帰国していないんだろう…?
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2011年 01月 20日 |
先ほど、母と電話で話をしました。

先週末に胃ろうの手術を受けた父は、相変わらずの態度だそうで。
お医者さまから胃ろうの手術の詳細が書かれた書類を渡され、説明を受けたのは母と姉。
それでも、たとえ当人(父)が『俺はそんなものは聞きたくない』と拒絶しても、現状では延命のためには手術を受けないわけにはいかないと、父にはその書類を渡して目を通しておくように言って、結局承諾したのは母と姉です。
なのに、術後、父が『いくつ穴を開けたんだ』なんて看護士さんに尋ねることは、全て書類に書いてあったようなことばかり。

でも、例えば自分が父の立場になったのなら、と考えると、父を責めることは出来ません。
先のない未来のことなんて、知りたくないです。
受ける手術のことだって、それで完治するならば頑張りますけれど、その場しのぎなら、つらさが長引くだけなんじゃないかと。
今は、それなりに我慢出来るつらさだったとしても、これから先にどれほど屈辱的なことがあるんだろうと考えるだけで、滅入ってしまいます。

それでも、少しでも長く、父に生きてほしいと思うのは、罪なことなのでしょうか。
一分一秒でも、長く生きをしてほしいと思うのは、いけないことなのでしょうか…?


この年齢になると、祖父や祖母だけでなく、小父や小母を含め、脳溢血等でなくなった、なんてこともよく聞くようになります。
身内を亡くすことは、つらいです。
でも、それでも、せめて当人だけでもつらい思いをせずに逝けたのならば、それは却って幸せなんじゃないかなって、最近は思います。
だって、平均寿命までには早すぎる死までの期限を切られ、治療で治る見込みさえなく、日々カウントダウンをしながら足掻いているなんて、つらすぎます。
今日はこれが出来た、でも明日はどうだろう、なんて不安を抱え、どれほど自分が頑張ろうとも周囲の助けを必要とし泣けれないけない日々。
数秒先さえ不安な時間を過ごすよりは、自身でさえ分からないうちにぽっくり逝けたのなら、どれだけ自分にとっても周りの人たちのとっても楽だろうかと、思ってしまうんです。
でも、それはイコール、みんなに急逝してほしいというワケじゃなくて。

ああ、なんていうのかな、自分も含めて、全ての方にとって、幸せな一生だったらいいなと思うのです。
それがたとえ、長くても、短くても。

例えば今、私が父のように命の期限を切られたら。
めちゃめちゃ焦ります、足掻きます、パニクります。
やりたいことも、行きたいところも、いっぱいですもん。
心残り、ありまくりです。
でも、きっと父も、同じだと思うのです。
時代的なこともあったと思うけれど、なかなか自分の思い通りには出来なかっただろうし、結婚して子どもが出来てからはさらに自由がなかったんじゃないかなとか。
それが、子どもたちがようやく自立して、やっと夫婦の時間が持てると思った矢先の、病気の発覚なので、やり切れなさとか、言葉にできない気持ちがたくさんあると思います
それが当時の父親のあるべき姿なのかもしれませんが、友人たちが人の親になる年齢になった今、それが本当に父にとって幸せだったのかなって、ちょっと思ってしまいます。

願わくば、私や姉、そして私のだんなや姉の配偶者や甥っ子が、父にとっての幸せになっていますように。
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2011年 01月 10日 |
今朝、目が覚めた時、自分がどこにいるのかちょっと分かりませんでした。
別にいつもと違う所で寝ていたとかいうわけではなく、あまりにも直前まで見ていた夢がリアルだったんで。

というのも、私、(夢の中で)単身で飛行機に乗っていました。
もともとだんなと付き合っている時ですら、一緒に日加間の往復をしたことがないので、単身であることはまあ当然なんですけれども。
ただそれがね、キャンセル待ちまでして急いで取ったチケットだったらしいんですよ。
ほぼ着の身着のまま、いつもの(何でも入っていると言われるドラえもんの四次元ポケットのような)バッグだけを持って。
普段からまともな格好なんてしていませんけど、それにとりあえずパスポートだけ追加した、みたいな感じでしたね。
なのに、父と母の待つ家に帰るんだーって、息巻いて。
しかも、いつもは戻るチケットも取る(=往復)のに今回は片道なので、『オープンチケットとかも使ったことがないから戻る時のチケットはどうすればいいの』なんて質問を(なぜか)CAさんに訊ねたりして。
ちなみに日付は、やけにはっきり覚えているんですけど、1月26日でした。

昨年夏から始めた私のお仕事が毎週水曜日で、父の手術が今月半ば、さらにそれから1週間くらいで退院出来るとは聞いていますので、退院してからの父母の状態が気にかかっているのと、お仕事先にも迷惑をかけているなあという思いが混ざり合ってのことだとは思うんですけど、それでもなんだかあまりにもしっかりとした日付だったのでちょっと気にかかっています。
私は霊感なんてなく(むしろだんなの方がとんでもない霊を目視したりしているくらいですが)、金縛りにさえあったことがないんですけれども、それでも血液型とか星座とかあれこれ見ていると、微妙に予知能力があるとか言われたりすることがあるので、それが現実にならないことを祈っています。

だからまあ、起きた時になんで家にいるのか、なんで日付が遡ってるのか、えええ!?っていう感じだったんですけどね。
あ、でもそういえば、小中学校と仲の良かった双子のお友だちもいたから、それはそれでおかしいのか…。
でも同時に、現在のカナダのお友だちで旅行会社にお勤めの経験のあるNさんもいらしたから、あれこれとアドバイスをいただいたような…?

とりあえず、夢の中のように、慌ただしく帰国しなくちゃいけないような事態になりませんように…。
出来るだけ早くお仕事の引き継ぎを済ませ、少しでも長く父と母と一緒にいられるよう、私もいろいろ頑張っているからね!
その時には、きっと夢の中のような片道ではなく往復チケットだろうし、ある程度の期間限定だろうけど、それでも、なるべく一緒にいたいと思っているから、待っててね!

父の病気が発覚して以来、だんなには了承済みだし、義母も「他に何も出来ないから」って、クリスマスプレゼントとして日本へ往復出来るくらいの現金を用意してくださったくらいだし。
みんなに、支えられているからね。
決して孤独じゃ、ないからね?
一緒に、頑張ろう。
みんな、応援してくれているからね。
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2010年 12月 23日 |
父が、翌日に控えた診察日を前にして、呼吸困難に陥り、入院となってしまいました。
これまでのように痰がつかえて、という緊急なものではなかったけれど、先週患った風邪が肺炎に近く、またその頃から栄養ドリンクさえも飲み込めなくなっていたので、おそらく栄養(カロリー)不足で体力が落ちていたこともあったのでしょう。
朝起きて、肩で息をしている状態の父を見て急いで母が病院へ連れて行き、そのまま入院、点滴での栄養補給となりました。
点滴をしている間は呼吸も楽になったらしく、また、痰の吸引もしてもらってわずかなりともマシになっているようですが、それでも胃ろう関連の消化器系の先生の検診が来月はじめまで待たなくてはいけないので、それまで入院し点滴を続けるのかどうか、判断に迷うところだそうです。
しかも現在は風邪を引いて以来体力が急激に落ちているので、その手術もすぐに出来るのかどうか微妙なのではないかと。

ALSだと診断された時に、球麻痺(口からものを飲み込むことが困難になる症状)から始まっているということで『胃ろうまでは半年くらい』と言われていたらしく、6月下旬の発覚から今日がちょうどその半年目。
そろそろ本人も周囲も次の段階へ進んでしまう覚悟を決めなくてはいけないのかもしれませんが、ほんの数日前にスカイプで話をした時には変わりがなかったので、驚いて(というよりも戸惑って)います。

元気だったときよりも半年で20kgも体重を落としてしまった父(もともとぽっちゃりめではあったのですが、BMI診断で痩せ気味と診断されてしまうようになったのはかなりの激減です)、そして父に何かあると途端に食べられなくなってしまう母。
相変わらず元気で地球は自分のために回っていると思って周囲を振り回す祖母に、両親や祖母以外にだんなさまやお子、そしてお子よりも付き合いの長いわんこが病気とのことで分刻みの予定が入って大変な姉。
どうしよう、私に何か、出来ることはないのかな。
例えば私が帰国することで少しでもマシになるのなら、今すぐでも帰るのだけれど…飽和状態の父母だろうからそれも負担になりそうだし、私もパートタイムとはいえお仕事を一度引き受けたからにはあまり無責任なことはしたくないなと戸惑ってしまったり。

カナダは、遠い。
もっともっと遠い国はあると思うし、同じような、もしくはもっと悪いケースで悩んでいらっしゃる方もたくさんいらっしゃるとは思うけれど。
日本から、というよりも両親から遠く離れるつもりがなかった私なので、こういう時に本当にそう思います。

しかもなぜか、最近日本へのFAXが通らず(電話は出来るし日本からのFAXも受け取れ、国内へのファックスも送れるのに!)、さらに今回、姉とのスカイプが通じなくて結局電話で話すことになってしまいました。
普段はどうでも、必要な時に通じなければ、どんなに便利な機器も無駄なのに…。
一応だんなに、契約している電話会社に何か不具合が起きているのかどうか聞いてもらったのですが、今のところ目立って何も問題は起きてないようだということらしいし。
はー…なんだかもう、全てが悪い方へ悪い方へと流れていっているようで、つらいです。

しかも最近、ストレスの所為か膀胱炎が再発してしまい、前回から約4年半ぶりにクリニック&処方箋のお世話になっています。
さらに、前回は薬を服用した翌日にはすでに『もう完治したのかな?』くらいに良くなったのに、今回は薬が切れる頃になると下半身が切なくなってしまうので、ちょっと長引きそうでドキドキ。
なんかもう、すべてのことをうっちゃりたくなってきましたよ…。
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2010年 12月 06日 |
父が、ALS(筋萎縮性側索硬化症)であると宣告を受けて、約半年。
とうとう、唯一食べられていたフレンチトースト(厚切り食パンの白い部分に、生たまごと牛乳&生クリームとメープルシロップを混ぜたものを染み込ませて軽く火を通したもの)も通らなくなってしまったと、連絡がありました。
これまでも、お粥やスープなどをミキサーでペースト状にしたものを主食としていた父。
唯一、このフレンチトーストだけは頑張って食べられていたのですが、とうとうそれも不可能になってしまいました。

下肢に強く症状が出るというこの病気ですが、父の場合、嚥下困難・構音障害・咀嚼障害を生じる『球麻痺』から始まり、それは他の部位よりも進行が早いと言われているものです。
私が帰国した時にも、すでに『今年中には胃鑞に』と言われていたそうです。
食べることによって栄養を摂れないのであれば、それ以外の方法を取らざるを得ないのですが、ではいつ、誰が、父にそうしなさいと告げることが出来るのでしょうか?

今は、1日でも長く、『食べる』ことが出来ればと願っています。
とはいえ、父が食べられるものには、限度があります。

・まずは、流動食であること。
・そして、お粥など米類をいれたものはかなり粘性が高くて飲み込みにくいらしく、また、肉類などはミキサーで細かくしてもどうしても粒が残って喉に触ってしまうそうです。
・逆に、水などはさらさら過ぎで飲みにくいらしく、牛乳程度の重みがあるのがいいようです。
・出来れば、1日1500カロリーくらいは摂取してほしいので、多少の誤差はあっても、1食500カロリーくらいになればと思っています。
・野菜ジュースやゼリー飲料なども試しましたが、小さな塊(たとえそれがゲル状のものであっても)でも咽せてしまいます。

とても難しい条件下ではありますが、それでも何か『これはどう?』と思われるレシピがありましたら、どうぞお知らせくださいませ。
流動食と言うか、むしろ赤ちゃんの離乳食に近いのかも知れませんが。
『ミキサーで混ぜたら変な味になるかも』という心配は、もう、しません。
とにかく、ひとくちでも多く、父に食べてもらえるものが作れるのであれば、何よりです。

同時に、わずかでも父の症状が悪化すると胸を痛め、疾患のある心臓に負担をかけてしまう母にも、父と一緒に食べられるものを作ることが出来ればと思います。
全く同じでなくてもいい、それでも、母が食べるものをミキサーにかけて父に食べてもらえるのであれば、きっと(食べたくても食べられない父に匂いさえも申し訳ないと料理を控える)母にとっても調理する甲斐もあると思うので。

どんな些細な情報でもいいので、お願いいたします。
無理かどうかは、試してみないと分からないので。
わずかなりとも希望があるのなら、縋りたいです。

助けて、ください。
お願いします。
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